【 TYK無線電話の発明から実験へ 】

無線電信の開発から遅れること約10年。明治39年ごろから世界各国で無線電話の開発が活発になった。
日本も同様に、明治40年ごろから研究に取り組んでいたようである。

世界初の実用無線電話は、明治45年(1912)、電気試験所の3名の技術者により発明され、安中電機製作所により製造された。
後に逓信省により名ずけられた正式な名称は“逓信省式実用無線電話機”であるが、
発明・開発に携わった3名の技術者、鳥潟・横山・北村氏 のイニシャルをとってTYK式無線電話と呼ばれた。

トランジスタは言うまでも無く、真空管さえも実用されていないこの時代に、火花式送信機と鉱石検波受信機を組み合わせて音声を電波で伝える電話機を発明したことには大きな意義があるといえよう。
さて、この無線電話による通信が初めて試みられたのは明治45年春のことで、まず、東京銀座にあった逓信省構内と、芝にあった逓信省官吏練習所の間1.5kmの距離において通信試験が行われた。
この実験が上手くいったことから、つづいて、東京湾で海底ケーブル敷設線沖縄丸に搭載し、陸上と船舶間の通信が試みられ約50kmの距離まで通信を可能であることが判った。同年5月には、天皇陛下が見学される場面もあったようである。
一方で、無線電話の有用性を確認するために、逓信省横浜倉庫にも設置して断続的に試験が行われた。

つぎに、大正2年には横浜・神戸・文字・長崎・大阪などにおいて、船舶との通話試験が行われた。
このときには、約80kmの通話が可能であることが確認されたが、反面、呼び出し装置を装備できていないことで取り扱いの不便が認識されることとなった。

大正3年には、兵庫県にある和田岬検疫所と検疫番船との間で実用試験が行われ、陸上と陸上の間の通信には便利であることが認識されるところとなり、その実用化に目処が立った。

左から
T : 鳥潟 右一
Y : 横山 英太郎
K : 北村 政治朗
(写真:逓信総合博物館 所蔵)
【参考文献】
にほん無線通信史  (朱鳥社:福島 雄一)
日本の通信 (講談社・講談社の学習図鑑)
無線電信電話のはなし (電友社 大正5年 横山英太郎)

(写真:NICT前野研究室にて 実行委員会撮影)