【 明治初期:電信の創業と電信網の普及 】

 嘉永7年(1854)、ペリーの2度目の来航とともにもたらされたエンボッシング・モールス電信機により、日本の電気通信の夜明けが始まった。
 電信の軍事的価値は古くから認識され、幕府だけでなく諸藩において、海外からもたらされた電信機の研究が進められた。
 明治維新まもなく、明治2年(1869)の横浜灯明台役所から裁判所までで電信試験が行われたのち、東京築地の運上所から横浜裁判所までの電信事業が発足した。
 電信局は年々その数を増してゆき、明治11年には国内電信網の基幹となる東京中央電信局が開局。国内電信網の基幹部分がほぼ完成した。

横浜伝信局で用いられるブレゲ電信機
(郵政資料館蔵)
【 明治中期 : 庶民が電話を求める時代へ 】

 一方で、電話が日本にもたらされたのは明治9年ごろであった。
 明治11年(1878)頃には省庁において局所的に利用され始めた。
 公共一般への電話の業務については、官営・民営の是非について議論が繰り広げられ、種々の実験や改善の末、ようやく、明治22年(1889)、欧米に遅れること10年にして交換業務(公衆電話サービス)が開始された。
 日清戦争が始まると電話の重要性が増し、明治29年(1896)になると、工業振興政策の後押しもあって、第1次電話拡張計画が実行され、有線電話の普及が進むこととなった。
 庶民は電話の便利さに気づき、日本初の公衆電話ボックスが設置されたのもこの時期である。 このように、明治30年代は有線電話網の爆発的に普及が進んだ時代となった。
 それでも電話を望む庶民の要求を満たすことは出来ず、明治40年ごろ(1906-12)には、費用負担も辞さないという庶民の強い要望を背景に、第2次電話拡張計画が展開された。
京橋のたもとにできた日本発の公衆電話ボックス
(明治33年(1900)) (写真:逓信総合博物館 所蔵)
自動電話が大繁盛
(逓信総合博物館 所蔵)
参考文献:  てれこむノ夜明ヶ (若井登・高橋雄造 編著 電気通信振興会)
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